「とと姉ちゃん」と「あさが来た」はつながっていた!花森安治と平塚らいちょう

4月4日から始まったNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』の第一週平均視聴率が『あさが来た』を上回る高視聴率(20.3%)だったそうです。

その原因の1つは、前番組の『あさが来た』の視聴率が高かった為、次の番組のスタート時の視聴率が上がる、つまり、『あさが来た』の貯金があった、とドラマ評論家の田幸和歌子さんが指摘しています。

その『とと姉ちゃん』と前作『あさが来た』は関係があったんです。

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花森安治と平塚らいちょう

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『とと姉ちゃん』のヒロイン小橋常子のモデルである大橋鎭子さんと共に雑誌『暮らしの手帖』を国民的雑誌にしたのが花森安治編集長です。

花森安治さん役は、唐沢寿明さんが花山伊佐次役で、今後登場します。

花森安治さんは、稀代の変人と言われていますので、『とと姉ちゃん』でどんな役柄となるか興味があります。

その花森安治さんが大いに影響を受けたのが平塚らいちょうなのです。

花森安治さんが高等学校受験に失敗し、神戸の市立図書館で平塚らいちょうの『円窓より』と出会います。

らいちょうのとても肩に力が入っている文章に圧倒され、目次の「元初女性は太陽であった」という題に興味を持ちます。

元初、女性は実に太陽であった。真正の人であった。

今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

偖てここに「青鞜」は産声を上げた。

「元初女性は太陽であった」の一節が印象に残った花森安治さんは、その後、市立図書館にあった婦人問題関係の本を読み漁ります。

アウグスト・ベーベル著『婦人論』なども紐解き、女性は男子社会に隷属する社会的隷属、経済的隷属に苦しんでいるということを知ります。

後年、名編集長として『暮らしの手等』に携わるようになった遠因は、高等学校受験に失敗し、神戸の市立図書館でふと目にした平塚らいちょうの書作に出会ったことかも知れません。

そして、『暮らしの手帖』の創刊号が何とか売れて「暮らしの手帳」創業者 大橋鎭子さんがモデルの【とと姉ちゃん】放送開始、第2号の発行の目処がついた時に、花森安治さんは、平塚らいてう宅に訪問し、原稿執筆の依頼をします。

『暮らしの手帖』第二号には、平塚らいてうの「陰陽の調和」という随筆が掲載。

その平塚らいちょうは、『あさが来た』後半で、登場していましたね。

平塚らいちょう役は、元AKB48の大島優子さんが演じていました。

平塚らいちょうは、広岡浅子が設立に携わった日本女子大学を1906年(明治39年)に卒業しています。

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とと姉ちゃん大橋鎭子さんは日本女子大学中退

大橋鎭子さんは、高校卒業後、一度は日本興業銀行に就職します。

三年後、「自分は学問が足りない。銀行員なのに経済も分からないで、今後戦っていけない」との理由で上司に内緒で大学を受験し、合格します。

合格した大学は、平塚らいてうが卒業した日本女子大学です。

日本女子大学家政科二類に入学したものの、肺結核を患い、大学に通えなくなります。

お母さんの懸命な看病によって身体はよくなりましたが、進級できなくなり、家族に迷惑をかけられないと入学半年で退学しました。

この頃は、まだ花森安治さんと大橋鎭子は出会っていませんが、花森安治さんも大橋鎭子さんと同じ結核で入院していた大阪陸軍病院を退院し、化粧品会社で働き始めていました。

平塚らいてう「胡麻じるこの作り方」

『暮らしの手帖』第二号の平塚らいてうの随筆「陰陽の調和」は、評判がよく、読者からの問い合わせが多かった胡麻じるこの作り方が、また四号目に載りました。

まず、黒ゴマを強火でパチパチはねさせて手ばしっこく炒りあげます。それを乾いた擂鉢で十分にすります。すっていますとだんだんゴマから油が出てきて、とても硬く、すりこぎが廻りにくくなり、汗が出てくるほど骨が折れますが、そこをがまんして、丹念にすって、すって、すりつづけます。(略)ゴマが実に黒々と照った、ほんとうに例えようもないほど滑らかな泥状のものとなったところで、初めてぬるま湯を、少しずつ入れて、おしるこ程度の濃さに、すりながらのばして行きます。それを鍋に移し、煮立て、砂糖と塩少々で味をつけますが、黒砂糖ならばなお決行です。

当時の『暮らしの手帖』愛読者は、このゴマしるこを一生懸命作ったのでしょうね。

今、この平塚らいてうゴマじるこを作っても、美味しいかもしれませんね。

参考文献:花森安治の青春 (潮文庫)

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