『あさが来た』の成沢泉のモデル 成瀬仁蔵は元梅花女学校校長だった

NHK連続テレビ小説 「あさが来た」も、もうすぐ終了となるが、日本女子大学創立に向けて奮闘するあさを見るのが楽しみです。

ドラマで登場した成沢泉は無職として描かれていましたが、成沢泉のモデル成瀬仁蔵は梅花女学校の校長だったのですね。

人名辞典で成瀬仁蔵について調べてみました。

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成瀬仁蔵 年譜

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  • 1858年-1919年
  • 日本女子大学の創立者
  • 安政5年6月23日生まれ(周防国吉敷郡吉敷村)(山口県)
  • 吉敷毛利家に仕える下級武士の長男として生まれる
  • 父は成瀬小右衛門、母は歌子
  • 藩校吉敷憲章館で学ぶ
  • 明治9年 山口県教員養成所を卒業
  • 明治10年 キリスト教に入信、大阪浪速教会で受洗
  • 明治15年から8年間、奈良県郡山と新潟で牧師として活動
  • その後、梅花女学校の主任教師、新潟の女学校の設立などに携わる
  • 明治23年 渡米
  • アンドバー神学校・クラーク大学で社会学、教育学を学ぶ
  • 各種の社会施設の視察をし、明治27年帰国
  • 一時、梅花女学校の校長を務める
  • 明治34年 日本女子大学校を創立
  • 大正元年 欧米を巡遊
  • 大正8年1月 肝臓がんの診断を受ける
  • 大正8年3月4日没 享年62

  創立者 成瀬仁蔵 | 日本女子大学

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古川智映子著『土佐堀川』に登場する成瀬仁蔵

土佐堀川

成瀬仁蔵は渡米していたにもかかわらず、服装に関しては興味が無かったようで、あさに面会したときにも汚らしい格好をしていたようです。

約束した時間ぴったりに、成瀬は広岡家の玄関に現れた。浅子は唖然としてすぐには挨拶の言葉が出てこなかった。くびれ切った着物はもとの生地も分からぬほどで、よく見てやっと大島紬だと判断がつく。襟元は脂垢でてかてかに光り、羽織も袴も味噌漬けのようにしなびている。初めは、水にふやけた若布を身に纏って来たのかと錯覚したほどである。

朝ドラでは、「ふやけた若布の羽織の男」として、閻魔紙に書かれていましたね。

そんな服装で、梅花女学校の生徒達からはどのように思われていたのでしょう。

「小説 土佐堀川」での成瀬仁蔵の描写から、坂本龍馬の服装を思い浮かべてしまいました。

浅子がコーディネイトしてシュッとした服装をするようにした理由が理解できます。

女子大学の創立資金を成瀬仁蔵はどう考えていたか

女子大学を創立するのに必要な資金はどのくらいになるのか。

教育者が考える金額と実業家が考える金額はどのくらい違ったのでしょう。

成瀬仁蔵が浅子に尋ねます。

成瀬「広岡さんならいったい、どのくらい資金が必要とお考えか」

浅子「そうどすなあ、ざっと見積もって三十万円ぐらいというとこどすやろか」

成瀬「えっ、もう一度言ってください、広岡さん」

浅子「三十万円どす」

成瀬「三十万円、一桁多いのと違いますか」

このように成瀬は、立派な教育理念を持っていたものの、実際に大学を設立するにはあまりにも世間に疎かったのですね。

その後の資金集めに奔走し、設立資金三十万円を集めた広岡浅子なくして、日本女子大学の設立はなかったと思われます。

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