広岡浅子の恩人 五代友厚は大阪経済の復興の立役者だった!

NHKの朝ドラのファンで、『あさが来た』は毎日録画して観ています。

登場人物の登場人物である五代友厚は、ディーン・フジオカさんが好演しており、人気があるようです。

五代友厚の業績や仕事について知らなかったので、『五代友厚』(高椅直樹著)、『「九転十起」広岡浅子の障害』(古川智映子著)を読んで、調べてみました。

スポンサーリンク

大阪経済復興の立役者 五代友厚

456px-Shoin_Godai_Tomoatsu

ディーン・フジオカさんにはかないませんが、五代友厚はなかなかのイケメンですね。

この五代友厚という方は、明治維新後、衰退の一途をたどっていた大阪を立て直した立役者でした。

その証拠に、五代友厚の葬儀には、四千人を超える弔問客が訪れたと語り継がれています。

また、大阪・土佐堀川に面した大阪取引所(旧大阪証券取引所)、大阪市中央区にある大阪商工会議所のふたつの建物の前に五代友厚の銅像が立っています。

スポンサーリンク

五代友厚の略歴

IMG_0684

  • 天保6年(1835年)12月、現在の鹿児島県鹿児島市に薩摩藩士の次男として生まれる
  • 20代前半に藩命で長崎へ派遣
  • 長崎海軍伝習所で航海術、測量、砲術などの当時の最先端の知識と技術を習得
  • 慶応元年(1865年)、藩命でイギリスへ
  • 薩摩藩遣英使節団として、ヨーロッパ各国を視察
  • 渡欧中に貿易業務を行う
  • 明治維新後は、明治政府の官僚となる
  • 外国事務局判事として大阪に赴任
  • 造幣局の大阪への設置に尽力
  • 大阪税関長、大阪府判事として活躍
  • 明治2年(1869年)、横浜への転勤命令が出た時に官吏を辞任
  • 下野したあと、大阪為替会社、大阪通称会社の設立に尽力
  • 新政府が銀による取引中止による大阪経済の混乱に立ち向かい、支える
  • 藍の国産化と輸出促進のための製藍所「朝陽館」を設置
  • 堂島米商会所を設置
  • 大阪株式取引所(現在の大阪取引所)を開設
  • 大阪商法会議所(現在の大阪商業会議所)を設立し、初代会頭を務める
  • 大阪商業講習所(現在の大阪市立大学の前身)の創設
  • 鉱山開発に興味を持ち、民営鉱山を次々に買収、開発
  • 鉱山経営の管理事務所「弘成館」を創設
  • 大阪製銅会社を設立

このように華々しい業績があり、大阪の復興に尽力されました。

NHKの朝ドラ『あさが来た』では、五代友厚と広岡浅子が親しくしている様子が描かれていますが、実際にはあまり交流はなかったようです。

浅子は、五代の姿を大阪商法会議所などで、遠くから見ている程度だったようです。

浅子が五代と言葉を交わしたのは、三井小石川家の祖・三井高春の百五十回忌の場でした。

その折・・・

炭鉱の爆発事故と加島銀行創立の棚上げで意気消沈していた浅子の肩に、五代が手を置いてやさしく声をかけた。

恐縮する浅子に、五代は激励、そして叱咤の言葉を。「へこたれてはあかんで」「仕事は命がけや」「負けたらあかん、他人やない自分にや」。五代の一言ひと言が浅子の胸に深く突き刺さる。その時の邂逅が蘇るのは翌年、五代の訃報に接したときだった。(『「九転十起」広岡浅子の障害』(古川智映子著)より一部引用)

編集後記

以前書いた『あさが来た』関連の記事は、コチラ。

 「あさが来た」の原案『小説 土佐堀川』を古川智映子さんが執筆したキッカケ

小説『五代友厚』(高椅直樹著)は、慶応元年のイギリス留学の2年前から描かれています。

船上でのやりとり、兵器購入の交渉等の話が殆どで、大阪経済を復興させた頃の話は少ししか描かれていませんでした。

船上では、高杉晋作との出会いもあったようです。

広岡浅子との交流については、ほんの数ページ、浅子が炭鉱経営に乗り出す際に、経営が成功するようにと、浅子に内緒で根回しをしてあげるくだりが書いてありました。

近代日本の土台を築いた五代友厚、ドラマでは、品行方正、スマートに描かれていますが、実際はどうだったのでしょうか。

小説の中では、エネルギッシュに描かれており、今風に言えば、武闘派、肉食系とでも言うのでしょうか、ディーン・フジオカさんのイメージではありません。

 “あさ”が100倍楽しくなる 「九転十起」広岡浅子の生涯

 五代友厚

関連記事

スポンサーリンク

当サイトのイチオシ記事

脳血管のトラブル

お悩み解決

こんな記事も読まれています

コメントを残す

お問合わせ

お名前 (必須)

メールアドレス (必須)

題名

メッセージ本文