「あさが来た」の原案『小説 土佐堀川』を古川智映子さんが執筆したキッカケ

NHK連続テレビ小説「あさが来た」、4月2日で終わりましたが、半年間楽しませてくれました。 

「あさが来た」の原案は、古川智映子さんが、1987年に発刊した『小説 土佐堀川』。

出版されてから、実に27年後にNHKの朝ドラになるなんて、驚きです。

古川智映子さんが執筆しようと思ったキッカケを知ったので、まとめました。

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執筆のキッカケは『大日本女性人名辞書』

土佐堀川 古川智映子さんは、女性を主人公にした小説を書きたいと、モチーフを探していました。

ちょうどその頃、1980年(昭和55年)に「大日本女性人名辞書」の復刻版が出版されました。

「大日本女性人名辞書」は、1936年(昭和10年)に、日本の女性史研究の草分け的存在の高群逸枝さんが執筆された日本で初めての女性の人名辞典です。

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『大日本女性人名辞書』の14行

IMG_0082 この新人物往来出版社の『大日本女性人名辞書』を古川智映子さんが手にとっていなかったら、今わたしたちが、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」を見ることはなかったことでしょう。

この分厚い辞書に、広岡浅子の記述は14行だけです。

その14行を紹介致します。

實業家。三井高保の妹。嘉永二年京都油小路出水に生まれ、十七歳で大阪の加島屋廣岡久五郎に嫁いだ。

兄の三井高保は、明治・大正期に三井財閥を率い、三井銀行総長(社長)になった人物です。

維新変革に會し、家運傾かんとするや、自ら立って難局に當り、單身上京して先ず諸侯御用金の整理に著手功を収めたるを始めとして、店務を總轄、遂に商運を轉換し、實業家として大をなした。

素晴らしいのひと言です。

單身上京して云々、考えられません。

素晴らしい女性だったんですね。

鑛山の經榮に當った時など、時に坑夫等と起臥を共にし、常にピストルを携行したといふ。

古川千映子さんは、広岡浅子に関する14行の記述の中でも、とりわけ、このピストル携行について書かれたところを読んで、「この人の物語を書きたい!」という気持ちがわき上がったと言われています。

鉱山の経営をしたとしても、坑夫と寝起きを共にして、ピストルを携行することはないでしょう。

こんな凄い人がいたんですねー。

夫の死去に際し一女かめ子の婿惠三を以って事業を繼がせ、六十歳、病を以って入院する時、身邊一切の整理を行ひ、晩年には基督教を信じ、大正八年一月十四日、七十一歳で、線の太い、精力的な障害を終った。

後継者も育て、夫の死後は後継者にきちんと事業を継がせる。

病気になった時には、入院前に一切の整理をされた。一点の非の打ち所もありませんね。

社會事業に盡(尽)すところもあり、日本女子大學創立の際し、成瀬仁藏を扶けてこれが最初の後援者となり、また愛國婦人會大阪支部をして事業的に獨立せしめた。

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 五代友厚

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